今日はおじいちゃんの命日。
おばあちゃんの命日同様、おじいちゃんの命日にも毎年必ずお参りしに行きます。
昨日はの舞台のこと、今週末の舞台のこと、日々のこと、これからのこと…
いろんなことを墓前で手を合わせながら報告。
そんな命日参りも今年で20年。
いま生きていれば106歳の、うちのおじいちゃんは伝説をいっぱい持ってます。
甲府の中心街にある祖父母の家は、戦後間も無く祖父が自力で建てたもの。
大工でもないのに家が建つ、当時じゃ当たり前だったのかもしれませんが
祖父の死後、祖母からその話を聞いた時は驚きました。
素人が建てた家が今もなお残っているんだもの。
そして、私の小学校の運動会の時には約10キロの道のりを自転車こいでやってくる。
その当時、すでに祖父は80歳(@_@)
リアルにステテコにサラシを愛用していましたし、足元はいつだって下駄でした。
とりあえず頑固で他人の言うことは聞かないし、死ぬまでタバコは吸い続けてました。
おばあちゃんはきっと苦労の連続だったことと思います(T ^ T)
幼少期の私はちびまる子ちゃんのまること友蔵のように、いつもおじいちゃんと一緒でした。
夏は岡島デパートに涼みに行って、帰り道のフジヤでイチゴのアイスクリームを買ってもらい
帰り道の途中で疲れるとおんぶしてくれたこと。
岡島デパートの前にあるフカサワ宝石に寄ったらカルピスをご馳走してもらったこと。
駅の近くのケンタッキーに行ったのに、おじいちゃんは店員さんにひたすら「マクアドルあるけ?」と注文していたこと。
おじいちゃんにしてみればマクドナルドはマクアドルで、ケンタッキーもマクドナルドもファストフードはみんな同じでした。
明治の終わり頃に生まれた人にはそんな違いは関係ないのです。笑
美空ひばりごっこも、水戸黄門ごっこも、ぜーんぶおじいちゃんは付き合ってくれました。
演歌歌手ごっこの時にはちゃんと紙ふぶきもチラシで作ってくれます。
そんな友蔵みたいなおじいちゃんが私は大好きでした。
おじいちゃんの自慢の孫でありたい、おじいちゃんが喜ぶような立派な人間になりたい。
そんな気持ちが私の原動力となっています。
また来年の3月27日も、いい報告ができるように
日々を誠実に生きられますように(^_^)
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